“汚家”から一転、がらんと片付いた部屋になった理由。人生が好転した片付けとは
- 公開:2023.12.22
- 更新:2024.10.28
- ライフスタイル
がらんとした部屋がいかにもいい空気が流れていそうなミニマリストのminiさんのお宅。今では考えられないですが、かつては物置と化したような“汚家”だったとか。今回は、片付けられない人にきっと響く!“汚家”から一転、人生が好転した片付けを始めるに至ったエピソードをご紹介します。
何をやっても満足できない
20代半ば結婚が早かった私は、同級生が仕事や遊びに夢中になっている時、子育てや家事に追われ慌ただしく過ごしておりました。
保育園でのママ友との付き合いや、ご近所さんや姑とのいざこざなど人間関係でのストレスを買い物によって発散し、占いにハマり不満ばかりを口にする、そんな日々。
もちろん大変だったのですが、今思うとあの頃の私は不満ばかりを見つける達人だったなぁ、と感心します。
そんな私はストレス発散が買い物ですから、モノも必然的に多く子育てや付き合いで家事も儘ならない、いわゆる“汚家”に暮らしておりました。
クローゼットは服やバッグでパンパンだし、引き出しもちゃんと閉まらない。キッチンは食品やキッチン用具で溢れて、料理もまともに出来ない始末。
床はおもちゃが散乱し、足でおもちゃを寄せながら歩く状況。
帰って来た夫にいつも小言を言われ、さらにストレスが溜まる毎日でした。
ですが私の実家は、そんな我が家と比べ物にならないほどの物量でしたので、私自身はさほど危機感は感じておりませんでした。
保育園でのママ友との付き合いや、ご近所さんや姑とのいざこざなど人間関係でのストレスを買い物によって発散し、占いにハマり不満ばかりを口にする、そんな日々。
もちろん大変だったのですが、今思うとあの頃の私は不満ばかりを見つける達人だったなぁ、と感心します。
そんな私はストレス発散が買い物ですから、モノも必然的に多く子育てや付き合いで家事も儘ならない、いわゆる“汚家”に暮らしておりました。
クローゼットは服やバッグでパンパンだし、引き出しもちゃんと閉まらない。キッチンは食品やキッチン用具で溢れて、料理もまともに出来ない始末。
床はおもちゃが散乱し、足でおもちゃを寄せながら歩く状況。
帰って来た夫にいつも小言を言われ、さらにストレスが溜まる毎日でした。
ですが私の実家は、そんな我が家と比べ物にならないほどの物量でしたので、私自身はさほど危機感は感じておりませんでした。
転換期
先ほども少しお話しましたが、マキシマリストの父親とモノを捨てられない母親の住む“汚家”だった我が実家。妹が県外に嫁ぎ、そんな両親や家を管理する人間もいなくなり、物量は増す一方でしたが、肉体的にも精神的にも負担の大きかった私はそんな実家の現状に気づきつつも、見て見ぬふりをしていました。
ですが、ある事件がきっかけでこの汚い実家に呆気なく終止符を打つことになるのです。
30歳を目前としたある年の暮れに、父が突然この世を去りました。
ステージ4の胃癌。少し前兆はありましたが、病院嫌いで頑固者の父。気づいた頃には手遅れで、そのまま呆気なく逝きました。
残された母と私の前に立ちはだかったのは、父の経営していた工場と母が一人で住むには広すぎる実家の整理でした。
ですが、ある事件がきっかけでこの汚い実家に呆気なく終止符を打つことになるのです。
30歳を目前としたある年の暮れに、父が突然この世を去りました。
ステージ4の胃癌。少し前兆はありましたが、病院嫌いで頑固者の父。気づいた頃には手遅れで、そのまま呆気なく逝きました。
残された母と私の前に立ちはだかったのは、父の経営していた工場と母が一人で住むには広すぎる実家の整理でした。
片付けを始めたきっかけ
実家の片付けに召集された私たち兄弟。
始めこそ思い出に浸りながら荷物を整理していたのですが、その物量は凄まじく何日経っても終わる気配はありません。自分達ではどうしようもなくなり、結局は業者にも片付けの手伝いをお願いし、数十万のお金を支払い、ようやく片付けを終えました。
別れの感傷にゆっくり浸る間もなく、残された遺族には煩わしさしか残らない、そんなお別れは自分はしたくない。そう思い知らされた出来事でした。この出来事のあと、母は物を溜めなくなりました。
そして私も物欲がぶっ飛びました。それだけ私たちにとってあの遺品整理は地獄だったのです。
モノに囲まれて暮らすことが幸せだと勘違いしていた私は、この遺品整理をきっかけに持ち物を減らそうと決意しました。
始めこそ思い出に浸りながら荷物を整理していたのですが、その物量は凄まじく何日経っても終わる気配はありません。自分達ではどうしようもなくなり、結局は業者にも片付けの手伝いをお願いし、数十万のお金を支払い、ようやく片付けを終えました。
別れの感傷にゆっくり浸る間もなく、残された遺族には煩わしさしか残らない、そんなお別れは自分はしたくない。そう思い知らされた出来事でした。この出来事のあと、母は物を溜めなくなりました。
そして私も物欲がぶっ飛びました。それだけ私たちにとってあの遺品整理は地獄だったのです。
モノに囲まれて暮らすことが幸せだと勘違いしていた私は、この遺品整理をきっかけに持ち物を減らそうと決意しました。
目的ではなく手段
「まずは半分減らそう」。
最初に私がかかげた目標でした。
この「半分」とは、明らかなゴミや壊れているもの、一年以上使用していないモノです。それらを一年ほどかけて減らし、次は数が多いモノやたまにしか使用しないモノへと断捨離基準のハードルを徐々にあげていったのですが、驚いたのはそれらを処分して手元に残ったモノは当初の持ち物の二割ほどしか残らなかったこと。ですが、殺風景な部屋を見ても不思議と虚無感はなく、逆に清々しく、かつてないほどの解放感に包まれたのです。
その頃転職をして管理職になり、子供たちも思春期に入り、今まで以上に慌ただしく気を揉む日々を過ごしていたのですが、あまり落ち込んだり疲れを溜め込むこともなく、家にいる時間が楽しく快適に感じ始めました。
モノを手放して部屋の中に余白ができると、私の心の中にも余裕が生まれるようになったのです。不思議と部屋を片付けることで自然に幸福感が増し、ストレスをあまり感じなくなったのです。
当初は片付けが目的だったのですが、片付けが進むうちに、自分がやりたいことやなりたい自分が見えてくるようになり、片付けはいつしかそこへ到達するための単なる手段でしかないのだと気付きました。
最初に私がかかげた目標でした。
この「半分」とは、明らかなゴミや壊れているもの、一年以上使用していないモノです。それらを一年ほどかけて減らし、次は数が多いモノやたまにしか使用しないモノへと断捨離基準のハードルを徐々にあげていったのですが、驚いたのはそれらを処分して手元に残ったモノは当初の持ち物の二割ほどしか残らなかったこと。ですが、殺風景な部屋を見ても不思議と虚無感はなく、逆に清々しく、かつてないほどの解放感に包まれたのです。
その頃転職をして管理職になり、子供たちも思春期に入り、今まで以上に慌ただしく気を揉む日々を過ごしていたのですが、あまり落ち込んだり疲れを溜め込むこともなく、家にいる時間が楽しく快適に感じ始めました。
モノを手放して部屋の中に余白ができると、私の心の中にも余裕が生まれるようになったのです。不思議と部屋を片付けることで自然に幸福感が増し、ストレスをあまり感じなくなったのです。
当初は片付けが目的だったのですが、片付けが進むうちに、自分がやりたいことやなりたい自分が見えてくるようになり、片付けはいつしかそこへ到達するための単なる手段でしかないのだと気付きました。
変えられるのは自分だけ
断捨離をする前の私は、いつも誰かのせいにしたり、誰かに頼りっぱなしで自分というものがまるでなかったのです。ですが片付けを通して、自分で取捨選択し判断していくスキルが格段に上がり、自分に自信が持てるようになりました。
「自分の生き方や性格は自分で変えればいいんだ。」
そんな小さな悟りが、私の心の奥底にしっかりと根付いたのです。
片付けをして突然として人生が好転するわけではありませんが、占いや自己啓発にのめり込む前に、まずはゴミ袋を持って身の回りのゴミや不用品を片付けてみてください。その方がよほど現状が好転すると思っています。
部屋の不用品が片付いたら、窓を開け隅々まで掃除をしてください。部屋にも人生にも清々しい風が吹き始めるはずです。
「自分の生き方や性格は自分で変えればいいんだ。」
そんな小さな悟りが、私の心の奥底にしっかりと根付いたのです。
片付けをして突然として人生が好転するわけではありませんが、占いや自己啓発にのめり込む前に、まずはゴミ袋を持って身の回りのゴミや不用品を片付けてみてください。その方がよほど現状が好転すると思っています。
部屋の不用品が片付いたら、窓を開け隅々まで掃除をしてください。部屋にも人生にも清々しい風が吹き始めるはずです。
photo / __minimal.ig
__minimal.ig
厳選したものとの暮らしを投稿しているInstagramが人気のミニマリスト。空間も思考もシンプルにする心がけや小さな習慣なども自らの丁寧な言葉で綴られていて、心に響きます。