猫が教えてくれること「何者でもない私」/小説家・深緑野分さんの場合vol.1

猫の猫らしい行動に、自分の生き方を重ねてハッとする瞬間があります。小説家・深緑野分(ふかみどりのわき)さんもその一人。深緑さんの最新刊にして話題作『ベルリンは晴れているか』も飼い猫の「しおり」と「こぐち」なしには、あり得なかったのだとか。深緑さんの創作活動に欠かせないという二匹の話を聞きました。
 宇佐見明日香

「空メール」が導いた運命

キュッと上がった口角がキュートな「しおり」(キジ柄)と、口元のほくろと伊勢海老のように長いヒゲがチャーミングな「こぐち」(白黒・ハチワレ)。多頭飼育崩壊の家で生まれた二匹の姉妹は、生後間もなく保護され、小説家・深緑野分(ふかみどりのわき)さんと、深緑さんのご主人とともに暮らしています。

深緑さんの最新刊は、第二次世界大戦直後のドイツを舞台にした歴史ミステリー『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)。同書は2019年の直木賞候補や本屋大賞3位など、数々の賞にノミネートされ注目を集めています。しかし、今回は猫の取材です。本のことではなく飼い猫のことを取材されるのは、初めてとのこと。まずは、二匹を迎えた経緯についてうかがいました。

「実家で猫を飼っていたこともあり、結婚して家を出てからスタートした猫のいない生活に慣れず、里親募集のサイトを見ていたんです。そうしたら、多頭飼育崩壊の家から救出されたというしおりとこぐちを見つけて。でも、まずは夫に相談してからと、見ていたサイトを閉じようとしたら、誤って先方に空メールを送信してしまって…。

このままでは失礼になると、すぐに空メールを送ってしまったお詫びと、里親になりたい旨をメールしました。おかげで夫へは事後報告になってしまったんですけど、でも、もしあの時、何事もなくサイトを閉じていたら、しおりとこぐちとの縁は切れてしまっていたかもしれなくて、アクシデントは運命とすら感じました」

しっかり者の姉と、落ち着きのない妹

しおりとこぐちの名前は、小説家さんの飼い猫らしく本が由来です。しおりは、皆さんご存知、本に挟むあのしおり。こぐちは、本をパタンと閉じた時に、ページが束になる側面の名称です。深緑さんはしおりを「しおちゃん」、こぐちを「こっちゃん」という愛称で呼んでいます。

「しおちゃんは妹思いのお姉ちゃん。体の弱いこっちゃんが病院へ出掛けると、帰ってくるまで心配そうに家中をうろうろ…。帰ってきたら、こっちゃんを舐め回すように心配して迷惑がられています(笑)。人間だったらバレーボール部の主将とか学級委員長をやっていそうな、しっかり者で一本気なタイプです。

こっちゃんは一人遊びが上手な不思議ちゃん。最近、気に入っているおもちゃは、自分のシッポです。シッポを追いかけ回してぐるぐる…。じっとしていることがあまりなくて、人間だったら通信簿に『落ち着きがない』と書かれちゃうようなタイプ。私とよく似ているんです。二人ともシッポが長いんですけど、しおちゃんのシッポはいつもピンとしてて、こっちゃんのシッポはいつもクネクネ動いていて、まるで二人の性格そのもの」

何者でもない私に帰る

しおりとこぐちは、いつも仕事をする深緑さんの傍らにいます。深緑さんが座る椅子のヘッドレストの上、パソコンの横の棚の上、段ボール好きの二匹のために置かれた箱の中、そして、時には今見ようと思っていた資料やゲラ(校正用の試し刷り原稿)の上に。

「家とは別に仕事部屋を借りようと思ったこともありました。でも、逆に猫がいないと落ち着かないし集中できないと思ってやめました。私が小説家でいるためにはふたりが必要。ふたりにとって私はごはんをくれて、遊んでくれる、ただの人で、ふたりが私に寄せる信頼感や好意は、私がどんなものを書こうと、どんな評価を受けようと、決して揺らぐことがありません」

「作品が話題になればなるだけ、いろんな人にいろんなことを言われ、プレッシャーに押しつぶされそうになることもあります。でも、そんな時にこそ思うんです。『私には猫がいるから、いいや』って。ふたりの存在そのものが、私の励みなんです」

外で頑張る人にこそ「何者でもない私」でいられる場所が必要です。そういう場所がありますか?そういう場所を作れていますか?さて、次回は、しおりとこぐちの流ちょうなおしゃべりの理由に迫ります。お楽しみに!

photo / 筒井聖子

小説家・深緑野分

https://note.mu/fukamidorinowaki

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